看取り経験100人以上の看護師が見つけた「幸せな人生だった」と口にする患者さんに共通する3つの特徴

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看取り経験100人以上の看護師が見つけた「幸せな人生だった」と口にする患者さんに共通する3つの特徴


あなたは「人生の最期」を想像したことはありますか?

あなたにとって「良い最期の迎え方」とはどのようなものでしょうか?


私は15年の看護師経験を通じて、数多くの最期に立ち会わせて頂きました。

その中で「ひとりぼっちだから可哀そうな最期を迎える」「家族がいるから幸せな最期を迎える」とは、必ずしも言いきれないことに気付きました。

良い最期を迎えられるかどうかは、その方の「姿勢や考え方」に大きく影響することに気付きました。

その気付きを得るきっかけとなった、特に印象に残った患者様の最期の一言を紹介します。

・生涯独身のYさん「寂しい想いがなく、この家で過ごせて幸せだった」

・最愛の妻を亡くしたMさん「呼吸器は絶対つけないでほしい。この家で皆様に看取られるのが本望」

・病院で最期を迎えたIさん「あなたと出会えてよかったです。皆にも本当に感謝です」

3人とも死ぬ間際であっても笑顔を絶やすことはありませんでした。

そして、周囲のサポートを受けながらもその人らしい最期を迎えることができました。

この3人の最期は、私の看護師人生の中で印象に残る幸せな最期の形であったため、今でも鮮明に記憶に残っています。

 

どうしたら、人々は幸せな最期を迎えることができるのか、私はその日からずっと考え続けました。

 

そして、1つの結論に至りました。

それは、たった3つの大切なことを出来ているか否かなんです。

・周りへの感謝

・周囲を頼る

・意思を表出する

私が看取ったYさんの事例で説明すると、事業の失敗を経験して生活保護にまでなりました。

身よりもなく、孤独ではありましたが、「周りへの感謝」と「周囲を頼る」「意思を表出する」に長けており、みんなに愛されました。

食生活も不摂生でタバコも辞められず、癌になっても自分のしたいことをやり続けていました。

そんな破天荒なYさんですが、3つのことを出来ていたことで、最期はケアマネージャーさんや訪問医、訪問看護師に見守られたまま、本人の臨む自宅で最期を寂しくなくYさんらしく迎えることができました。

簡単なことに感じますよね?

でも、意外とできていないケースもあります。

 

例えばTさんは、周りの言うことを全く聞かず、「うるさい」「死ね」など周りに悪態ばかりついていました。

 

バツイチで子どももいましたが、その性格から子供との連絡も取れなくなっていました。

本人は自宅での最期を望んでいましたが、自宅での安静が守れずに外出してしまったり、緊急で先生が来てくれるのに、救急車を呼んでしまい病院に行ったにも関わらず、入院せず勝手に退院してきたりするため、周りの協力が徐々に得られなくなってしまいました。

結果、サポートできる事業所が無くなってしまい、「家にいたい」という希望が叶わず、施設で最期を迎えることになりました。

非常に残念ではありますが、日々の対応の中に「周りへの感謝」と「周囲を頼る」「意思を表出する」ができていなかったことが、最期の迎え方に影響を与えたと感じました。

「本人の望む幸せな最期」と「本人の望みが叶わない寂しい最期」のどちらを迎えるかは、本人の姿勢や意識に大きく影響します

少なくとも私は、私が望む幸せな最期を迎えたいと思っています。

そして、私と関わる全ての方にもそうであってほしいと願っています。

今回は、私の経験を踏まえて「良い最期の迎え方」をまとめました。

少々長くなってしまいましたが、ぜひ一読していただけると幸いです。

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1 本人の望みが叶い「幸福」を感じながら最期を迎えた3事例

1人で在宅で最期を迎えると考えると「孤独死」を過る方も少なくありません。でも実際は在宅サービスなどを受けたり、遠方の家族の支援を受けることで、本人の望む最期を自宅で迎えることが可能になります。

逆に病院において、例え1人であっても、「幸せな最期を迎えられて感謝です」と話して最期を迎えた方を看取ることもありました。どのような方であったか実際私が最期を看取った3人のケースをご紹介します。

1-1 生涯独身でも自分の好きなように楽しく過ごしたYさん

Yさんは自身で事業を起こし、がむしゃらに働いていた方です。

一方、女性には弱くて、シャイな性格もあって結婚をする機会を失い、仕事に全ての時間を費やしたようです。しかし、人がいい性格のせいか騙されてしまい、結果会社が倒産し、自己破産する結果になりました。

お酒は飲まずコーラが大好き。食生活の乱れや長い喫煙歴が祟ってか、癌を患ってしまい入退院を繰り返します。その結果働けなくなり、病院に勧められて生活保護を受給することになりました。

自身で頑張って生活をしていましたが、癌の転移などで身の回りのことができず、頼る当てもないため在宅サービスを活用するようになりました。

1-1-1 周囲への感謝や配慮を忘れず「ありがとう」とよく口にしていた

自営をしており、自分のことをなんでも行っていたYさん。そして現在は生活保護という立場のため、サービスは最小限に留めていました。外に出るのも大変なのに訪問介護を減らしたり、訪問看護の利用も最小限にしていました。

毎回家に行くたびに「皆様のご迷惑になって申し訳ない」と手を握って拝むことも多々ありました。ご飯を食べる前にも仏壇に供えてから頂いたり、受け取るときも感謝を述べながら受け取っていました。

とにかく周囲への感謝や配慮を忘れず「ありがとう」とよく言っていました。

1-1-2 自宅で最期を迎えたいという望みが叶った瞬間

そんなYさんは常に「家が大好き」「皆には申し訳ないが、家で頑張りたい」と話していました。

Yさんの謙虚で自立心のある姿勢を可能な限り尊重するために、在宅サービスの従事者同士で何度も話し合い、自宅で最期を迎えるにはどうしたらいいかと議論を重ねました。

状態が変化してからは、日中は訪問看護が状態を確認するために訪問、早朝と夜間は食事の準備などをしながら介護が訪問。週に2回は訪問入浴を活用し、状態がよければデイサービスに行くというシフトを作りました。在宅医も2週に1回でしたが、状態が変われば3日ごとに訪問するようにして下さいました。

そんな生活を1年ほど続けていきました。元々がんも転移し、余命半年とされていましたが、優に超え、最期が徐々に近づいてきました。

亡くなる3日前には「寂しい想いがなく、この家で過ごせて幸せだった」と話していたのが印象的でした。結局本人の希望もあり、在宅サービスが確立されてからは一度も入院することなく最期を迎えました。

Yさんらしく皆に囲まれて、とても1人とは感じさせず、とても印象深い最期を迎えた方の一人です。

1-2 大事な奥様を亡くした後も思い出を生き甲斐に最期を迎えたMさん

Mさんは5年前に奥様を亡くして、自宅で年金生活を送っていました。とにかく奥様が大好きで、旅行にもよく行かれていたようで、自宅には多くの写真に囲まれていました。煙草もお酒も大好きで、COPDになって在宅酸素を導入しても辞められないMさんでした。日々の健康管理から訪問看護に入らせて頂きました。

1-2-1 常に笑顔で前向きにサービスを受け、挨拶を欠かさない

Mさんの家に行くと常に元気な声で「おはようございます」と迎え入れてくれます。そして家で状態を聞くときも笑顔で答えてくださいました。特に奥様との思いで話は常にニコニコしてくれました。訪問介護で家の掃除や料理をしてもらう時も常に色々なお話をされていたそうです。

自分の状態が悪くなっても「お母さんに会える」「毎日色んな人に会えるだけで幸せ」など前向きな言葉や、聞いていて勇気をもらえるような発言が多かったです。子宝に恵まれなかったようですが、奥様との時間を沢山過ごせたと、普段から前向きな様子でした。

1-2-2 最期まで前向きで笑顔を絶やさなかった

MさんはCOPD(※)でよく肺炎を起こしました。それでも奥様と過ごした家にいたいと入院はせずに家にいることを拘りました。

先生と相談して毎日点滴を行ったり、介護士と食事を考えたりしてサポートし続けました。状態の改善と悪化を繰り返しながらも、住宅改修をしたり過ごしやすい環境を整えながら家でというMさんの要望に応えるために、ケアマネージャーさん中心でサポートを行いました。

4度目の肺炎を起こした際に呼吸器をつけるという選択を迫られましたが、「ここまでしてもらって悔いがない」と話して、最低限の治療を在宅で受けました。

(呼吸器を在宅で装着するということは、数日間病院での入院が必要となり、家で過ごし続けたいというMさんの要望に反するため)亡くなる数日前には「呼吸器は絶対つけないでほしい。この家で皆様に看取られるのが本望」と従事者が来る度にに話し、最期を悟ったのか涙を流しながらも笑顔で握手をしていました。結果本人の臨む在宅でという希望通りに迎えることになりました。

※COPD・・・慢性閉塞性肺疾患の略。従来、慢性気管支炎や肺気腫と呼ばれてきた病気の総称。タバコ煙を主とする有害物質を長期に吸入曝露することで生じた肺の炎症性疾患であり、喫煙習慣を背景に中高年に発症する生活習慣病といえます。<引用:一般社団法人日本呼吸器学会>

1-3 病院で穏やかな表情で最期を迎えたIさん

Iさんは若くして旦那さんを亡くしてしまったが、女手一つで2人のお子様を育て上げた、非常に頑張り屋な方でした。いつも「感謝です」と手を合わせてお礼を欠かさない方で、入院中は看護師を始め、栄養士や薬剤師にも好かれるような方でした。お子様が遠方なため、施設に入所されていましたが、肺炎などを引き起こすたびに入院し、治ったら施設に帰るということを繰り返していました。

1-3-1 「感謝されて嫌な人は誰もいないだろう?」と真顔で語る

Iさんは肺炎のため呼吸苦があり、補助目的にて在宅で酸素療法を行っていましたが、徐々に痰も自身で出せなくなり、吸引で出すようになりました。口や鼻に管を通すためとても苦しいですがIさんは、変わらずに「感謝、感謝」と手を合わせます。私が苦しいと思ったので、「わざわざ言わなくても大丈夫ですよ」と話すと、「感謝されて嫌な人は誰もいないだろ?」と話し、辛いことでも日々感謝の言葉を口にしていました。

1-3-2 死期を悟った最期までずっと穏やかな表情

肺炎を繰り返していたため、徐々に呼吸機能が落ちてしまいましたが、Iさんは延命治療を望まずに最低限の治療を希望されました。ご家族も遠方でありながら、週末などにはお見舞いにも来てくれました。

体調の波が繰り返され亡くなる前日に夜勤でIさんの病室に伺いました。「あなたと出会えてよかったです。皆にも本当に感謝です」と窓際に向かって拝んでいました。今思えば最期を悟っていたのかと考えてしまいますが、Iさんほど最期も穏やかな方は見たことはありませんでした。


2 在宅で臨んだ最期を一人でも迎えるための3つの特徴

私は病棟看護や訪問看護を通じて、累計100名以上の看取りを経験してきました。

前述した通り、幸福を感じながら最期を迎える方がいる一方で、不幸とも言えるような望みが叶わない最期を迎える方がたくさんいらっしゃったのが実情です。

では「幸福な最期を迎える方」と「不幸な最期を迎える方」を分ける要因はどこにあるのでしょうか?今回この記事を作成するにあたってこれまで15年間の看取り経験と、患者様と接してきた過程を振り返ってみました。

私の実体験から「幸福な最期を迎える方」には3つの共通点があることに気づきました。

1.周りへの感謝

2.周囲を頼る

3.意思を表出する

3つのうち1つしかできていない方、もしくは1つもできていない方は、残念ながら望んだ最期を迎えられないケースがほとんどでした。

私だけでなく、看護師仲間にヒアリングしても同様の結論が返ってきました。それぞれ当たり前のようにすべきことではあるものの、意外にできていないものだと驚きました。

私がこれまで15年間患者さんと接してきた事例とともに、それぞれ解説していきます。

2-1 周りへの感謝は単純に「ありがとう」を言えること

最も単純で簡単な一言!

それは「ありがとう」という言葉にあります。

普段の生活で伝えていることができますか?職場での感謝は勿論のこと、普段行くコンビニやスーパーや飲食店など。日々の生活で感謝を伝えられるかも大事な場面かと思います。

2-1-1 感謝を伝えられず、家族とも断絶されてしまったOさん

Oさんは60代でALS※を発症し、在宅での生活を送っていました。上場会社の管理職だったこともあり、礼儀や言葉遣いも厳しい方でした。

家族が最初は全面的にケアをしていましたが、療養生活が長くなるにつれ、本人が家族にきつく当たることが多くなり、徐々に在宅サービスの時間が長くなり、訪問看護も週に1回から2回、そして毎日の介入になりました。本来であれば看護師や介護士の介入時に同席したり、相談したりしますが、家族はOさんにも我々従事者にも関心を示さなくなり、同じ家にいても顔を合わせることはなくなりました。

※ALS・・・筋萎縮性側索硬化症の略。手足・喉・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気です。筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)だけが障害をうけます。その結果、脳から「手足を動かせ」という命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせていきます。その一方で、体の感覚、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれる病気です。<引用:難病情報センター>

2-1-2 日々怒りしか出さなくなり、感謝の気持ちを一切見せないOさん

家族に対して感謝や、遠慮のないOさんは勿論従事者に対してはより一層厳しく接していました。

経験豊富な看護師や介護士が入ると2~3回で終わる体位変換も、Oさんの場合は「(ポジショニングが)なっていない」と10回以上必ずやり直しさせられて、介入時間で終わらせることが皆難しい状況が続きました。

ALSの場合、意識はクリアであるが、身体の自由が効かないためイライラしてしまうことが多く、従事者も理解はしていますが、Oさんの日々の態度は次第に従事者が対応することが困難になっていきました。

2-1-3 家族の助けを得て、在宅生活の維持を試みるも・・・

徐々に介護度が増していくが、対応できる事業所が減っていっても、Oさんはプライドが高い為か、感謝を伝えることもなく、常に厳しい表情をしていました。そして在宅サービスだけでは賄い切れず、家族への協力を仰いだ際に、家族の誰もが協力するのが難しいと返答がありました。

Oさんは在宅で過ごし続けることが可能だと思っていたようで、激怒しましたが、家族の誰もが「これ以上は限界です」と話し、サポートできないと匙を投げてしまい結局専門の施設に入居することになりました。

2-1-4 親しき中にも礼儀は絶対必要

極端な事例ではありますが、普段の生活を思い返してください。

両親や家族への感謝を伝えていますか?

イライラしている時に周囲をないがしろにしていませんか?

勿論病気は辛く、本人の悲しみも計り知れないとは思います。ただ、悲しみと周囲への感謝は別物にはなります。周囲への配慮をしながら生活することが、自分の望む最期、そして多くのサポートを得られる結果になります。

2-2 周囲を頼る=「周囲の人々に頼ること」「周りの声に耳を傾けること」

簡単そうに思えますが、人に頼ることは相手を信頼することに繋がります。

職場で連想した時に、部下を信じて仕事を任せていますか?

自分でないとできないと思って頼らずに仕事していませんか?

プレイングマネージャーの方に多いですが、自分で抱えてしてしまう方も少なくありません。また自分の主張を通したくて相談もなく決めたりしたことはありませんか?結局人間どの場面においても周りを頼らないと生きることも、自分の願いを叶えることも難しくなります。私が訪問していたTさんは正にその典型的でした。

2-2-1 周囲を頼らずに自分を貫いたTさん

Tさんは結婚して子供もいましたが、自分勝手で家族に相談もしないまま、物事を決めてしまったり、気性の荒い性格であったために離婚し、1人暮らしでした。

50代で若かったですが、癌に侵され、見つかった時には手の施しようがない状況でした。治療も希望されず好きなように過ごしたいと家で一人暮らしを継続していましたが、腫瘍が隆起し、処置が必要となり訪問看護を導入しました。

2-2-2 周りを信頼できず、在宅医がくるとわかっても救急車を呼んで待つことができない

Tさんは気性が荒くはありましたが、心配性であり、病気のこと、死への不安で夜になるとクリニックや訪問看護に頻回に電話するようになります。

実際は緊急でないことも多かったり、緊急で対応しようと向かうも、待ちきれずに救急車を呼ぶことも少なくありませんでした。元々、救急車の利用や多くの病院を勝手に退院していた経緯もあり、受け入れてくれる病院がなく、結局訪問看護や在宅医がTさんの帰宅後に対応というケースも多くありました。

電話だと「来ないと死ぬ」「緊急だからすぐに来てほしい」と言いつつ、訪問すると安心して寝てしまうなども多くありました。皆で何度も説明するも、自分のいいように解釈して電話の回数が減ることは最期までありませんでした。(在宅の場合、夜間などの緊急の際にはまずは訪問看護師が輪番で電話対応を行い、その上で看護師が訪問し、必要に応じて医師に相談し、緊急往診を依頼するという流れが一般的になります)

2-2-3 自宅で気ままに過ごしたいという希望は叶えられず

1人がいいと言いつつも、寂しがり屋のTさんは、デイサービスなど外に出るものは希望されず、自宅で過ごせるサービスを選択し続けました。

しかし、在宅医や訪問看護、ケアマネージャーへの連絡が頻発なこと、家族の協力も得られないこと、周囲の医療機関も受け入れられないことで、自宅での生活は不可能となりました。(在宅では緊急時の対応は誰もが行いますが、不必要な状況が継続すると、基本1人で応対するため、本当に必要な方への対応が困難になります)

一生懸命やりましたが、改善がなく、本人の身勝手も日増しに強くなり、結局は皆で説得して看取りのできる施設への入居が決まりました。

本人は自宅でと思っていましたが、最後は自分の蒔いた種と理解して施設へと入居しました。気が抜けたのか、施設に入居して2週間後には亡くなってしまいました。残念ながら顔なじみにもなれないまま最期を迎えてしまいました。本人が少しでも周りの言葉に耳を傾けたり、感謝があれば自宅で看取ることができたなと感じる症例です。

2-2-4 周囲を頼らないと結局は協力を得にくくなる

仕事の場でもあるように、ワンマンプレーをすることで周囲の輪が乱れ、協力関係を得られなくなります。この傾向はなかなか直すことができないため、年を追うごとに傾向は強くなります。そのため、今のうちから周囲を信頼して仕事を振ったり、自分だけで抱え込まずに教育をしながら仕事をする姿勢が求められていきます。

2-3 わがままではなく自分の信念や譲れないことを伝える

親の財産や相続、臓器提供の意思確認などしていますか?

多くの方は出来ていない方が多いと思います。日本人はお金のことや死後の話を嫌う民族性があります。また自分の信仰や、好みや考え方を伝えきれない方も少なくはありません。こだわりや、やり方は伝えられるのに肝心な部分は伝えられない方が多いのではないでしょうか?

2-3-1 自分のこだわりは伝えられたのに、肝心なことが言えなかったSさん

Sさんは大手IT企業の役員を務めて、都内の高級マンションで一人暮らしをしていました。仮面ライダーのグッズやレコードなどの趣味が充実して独身貴族のような生活でした。

近くには兄弟も住んでいましたが、気難しい性格のためか、交流はほとんどなく、緊急時の連絡も拒否するような関係でした。Sさんは会社の健診で毎年引っかかってはいましたが、再検査も無視し、職場で倒れて検査した結果、癌の末期で余命6ヶ月を宣告されてしまいました。

最期を迎えるにあたり、自宅でのサポートを兼ねて訪問看護が導入されました。

2-3-2 神経質は周囲の協力を減らし、本音を言える人を無くしてしまう

Sさんは呼吸苦が強く在宅酸素を導入していました。そのため、掃除や洗濯も困難で訪問介護に依頼をしていました。

ただ本人のこだわりや、やり方の希望が強く、対応した介護士を怒ったり、事業所を勝手に契約破棄したりし始めました。訪問看護も対応する人を限定するなどしたり、在宅医を「気に入らない」と自分で別を探したりしてしまいました。

そのため、余命6ヶ月でありましたが、サービス事業者での意思統一ができずに、在宅サービスの安定が主な目的になってしまいました。

2-3-3 意思を伝えられず、意思決定もできず、相談ができないまま最期は病院へ

本人は住み慣れた自宅での生活を希望して退院していました。しかし、気に入らないとすぐに契約解除や、拒否をしてしまうことが続き、本来すべき話ができない状況でした。

兄弟への協力も仰ぎましたが、本人が拒否してしまい、従事者が連絡するチャネルを遮断させてしまいました。ようやく体制が整い、翌週に今後の方針を決める会議を設定した矢先、呼吸苦が強くなり、意識レベルが低下してしまいました。本人の意向がはっきり確認できなかったため、結局救急搬送され、人工呼吸器が装着され数日後に亡くなってしまいました。

周囲とようやく方向が決めれるようになったのに、本人がなかなか死生観や肝心な最期に関して話すことができなかったです。

2-3-4 意思を表出する方法は言葉だけではない

どうしても意思を伝えるには信頼できる人や、家族となってしまいます。言葉で伝えることや、何を伝えていいかまとまりきらない方も多いと思います。

そういった際には「エンディングノート」が有効的です。

親や周囲に書かせるのはハードルが高いと思う方が医療職でも多いです。実際自分で書いてみると人生の棚卸になります。私も生前に祖父に書いてもらい非常に有効的であり、役に立ったことで両親も書いてくれました。

可能な限りは自身の言葉で、そして困難な方やイメージがつかなければエンディングノートの活用をしていきましょう。


3 幸せな最期を迎えるためにいますぐ行うべき3つの対策

いい最期、自身の望む最期を迎えるためには「周りへの感謝」「周囲を頼る」「意思を表出する」今からでも是非意識して行って下さい。

様々な患者さんと関わる中で、大事なことは普段の生活における、「周囲の人や、家族への感謝の気持ち」「仕事でも家庭でも周囲を頼る姿勢」「自分の気持ちを常に伝え続ける」3つが重要な鍵になると確信しています。将来的にできればという考えでは絶対に変われません。早ければ早いほど変われます。

ただなかなかすぐできない方や、ハードルが高い方のために明日からすぐできる項目をピックアップして見ましたので、併せて確認頂きたいです。

3-1 周囲の人や、家族への感謝の気持ち

生活の中で感謝の気持ちや労いの言葉を伝えることができていますか?

下記5つをまずはチェックしてみましょう。

・出社した時に「おはようございます」の挨拶を言えている

・物を受け取った時に「ありがとう」と言えている

・食事を摂る前に「いただきます」と言えている(飲食店などでご馳走様と言えている)

・先に仕事を終えた同僚に「お疲れ様」と言えている

・直近1週間で「ありがとう」を言えているか

日々の生活におけて、感謝や労いを伝える代表的な場になりますが、ここに一つもチェックが入らない方は注意が必要です。是非一つでもチェックを増やせるようにしましょう。

3-2 仕事でも家庭でも周囲を頼る姿勢

周囲に頼って現在生活できていますか?

意外と自身でやりきってしまったり、進めてしまう方が個人主義の現在は多い傾向にあるように感じます。

しかし、困っていることに関しては助けを求める」「依頼したことは最後まで信じて見守る」「声を掛けてくれて頼んだら、お任せする」という姿勢が大事になります。事例でもわかるように、優秀な方ほど自身でやりきってしまう傾向にありますので、十分注意するようにして下さい。

家庭においても、パートナーを信じていますか?

夫だからこうあるべき、妻だからこうあるべきと思ってしまい頼らずに決めつけていませんか?

〇〇のつもり、〇〇だと思っていたは、不信を招く原因になるため、併せて注意するようにしましょう。

3-3 自分の気持ちを常に伝え続ける

自分の死生観を伝えたことはありますか?

あるいは以前話題になった「臓器提供意思カード」に関して周囲に話したこと、あるいは大事なパートナーや友人などと話したことはありますか?

「No」と応える方が多いように思います。私の周りでも話す方は正直少なく、医療従事者の間でも話しません。

在宅医療の場でも、まだまだ話す機会が少ないのが実情です。しかし、「エンディングノート」などの普及により徐々に増えてはきています。実際書いた方は、人生の棚卸になったという方が多いです。

その上で日々の生活において、自分がどんな最期を迎えたいのか、あるいは臓器提供の意思があるかを伝えるのは未来に向けた大事な一歩としては重要です。

是非今からでも遅くはないし、意思が変わっても構わないので、伝えるような意識づけをするようにしましょう。

3-4 明日からでも始めることができる、いい最期の準備

ここまで様々話をしてきましたが、いい最期、自身の望む最期を迎えるために明日からすぐ始められることがあります。

・日々の生活で感謝の意を述べる意識をつける。1日1善を心がけること

・人を信用する気持ちを持ち続ける

・保険証の後ろにある「臓器提供意思カード」の記載を行う

これは決して大袈裟ではなく、今からでも行わなければ、結局何十年後もできないです。日々の積み重ねや、意識の仕方で周囲の協力や、人格の形成も変わってきます。

是非自分の最期を想像できない方こそ、これをやれば問題ないので是非実行下さい。


4 さいごに

いい最期の迎え方、悪い最期の迎え方は個人差があるかもしれません。ただ確実に言えることは「幸せな最期を迎える方法」はあるということです。そして、それは普段の生活や心がけなど姿勢にも大きく影響するということです。

1.周りへの感謝

2.周囲を頼る

3.意思を表出する

日々の仕事や家庭でも感じる場面は多いかと思います。些細な心掛けで望む最期を迎えられるなら、私は是非今からでも取り組むべきだと思います。

私自身会社経営を行って9年目を迎えますが、この考えをもって経営したことで、3人からスタートした会社が現在は200人以上の従業員に支えられています。

是非この記事にたどり着いたあなたから実践して、周囲に伝えてもらえたら、もっと日本も笑顔になると信じています。

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